よもやま話とあれやこれ

あべです。どうでもいい話をたくさんするよ。

作家の人間性と作品についてのなんちゃら

ここ最近、文豪をイケメンにした漫画やソシャゲが非常に多いと感じませんか?

先日ゼミで集まった際そんな話になったんですが、某ストについて近代日本文学の先生は「漱石先生が出なければそれでいいです〜」「泉鏡花の実際の性別がわからなくなっちゃうね!」とお話されていました。鏡花さん女性なんですね。

私は与謝野晶子の能力は「キミシニタマウコトナカレ」ではなく「乱れ髪」にして、髪を振り乱して戦って欲しいと力説した記憶があります。

 

今では文学学会でも、「なぜ文豪がコンテンツとして消費されるのか」ということについて取り上げていたりするので、研究界隈にとってもこの文豪イケメン現象は新しい風を吹き込んでくれた結構いい動きなんじゃないでしょうか。

 

なぜ文豪がコンテンツとして消費されるのかをなんとなく考えてみたんですが、一番の魅力というのはやはり彼らが「実在していたこと」なのではないでしょうか。

それぞれの作品の魅力はもちろんなのですが、作家としてすごければすごいほど、それぞれが生きていた時の人間らしい(または非人間な)エピソードにきゅんとしますよね。しかも史実な訳ですし。

 

 

今回は、進まない卒論の気付け薬代わりに文学…というか作家さんのちょっとしたお話を、私の趣味の範囲でしてみようと思います。こんなことしてる暇あったら卒論書けよって話だけどね!!!

あくまで趣味なので、間違ってるところや解釈違い等があったらごめんなさい勉強し直します…。

 

 

さて、「作家(の人生、生活、性格etc…)と作品は分けて考えろ」とはよく言われることです。作家に引っ張られて、その生き方と作品を全て重ね合わせるような解釈は研究としては確かによろしくないと思います(私はよく引きずられるので自戒をこめて)。

が、作家と作品が完全に切り離せないのもまた事実で、作家さんを取り巻く生活のちょっとした出来事がもろに作品に影響していることもあります。研究って難しいねえ………。

そして、私は作品に関わろうが関わるまいがその「生活のちょっとしたエピソード」みたいなものが好きで、好きな作家さんだとそういう話をもそもそ調べてはニヤニヤしています。

 

有名どころだと、誰に聞いたのか、出典がどこなのかも今では覚えてないのですが太宰治のシジミのお味噌汁の話。細かいところが違っていたらごめんなさい。

知り合いのお家にお邪魔した太宰がご飯をご馳走になることになり、そこで出てきたのはシジミのお味噌汁。

味噌汁に入っていたシジミを残さず食べた太宰のお椀を見て奥さんが「あら、シジミも食べたんですね」と一言。それを聞いた太宰は恥ずかしくて恥ずかしくて消えてしまいたくなった。

…というただそれだけの話。

多分奥さんの言葉は悪意のない純粋な感想だったのではないかと私は思いますが、そこで恥ずかしくなるだけならまだしも、いじいじこの出来事を反芻して作品の一部として仕立て上げているのが流石だよなぁと思います(結構悪意のあるエピソードとして挿入されている)。ほじくるのがちょっと面倒だけどシジミの身美味しいよね…私は食べる。

人から見たら大したことのないようなちっちゃい出来事をうじうじうじうじず〜〜っと気にするんですよね〜〜とアルカイックスマイルを浮かべながら言ったのは高校の先生だったか誰だったか。太宰のこういうところは作品読んでてもじわじわと伝わってきます。作品をいくつか読んだ後にこのエピソードを知ったときは太宰の人物像として非常に納得しました。なるほどね…。

 

この話のほかにも、太宰には以前Twitterでバズった「芥川龍之介が大好きすぎる」エピソードとか面白い話がいろいろあるので興味があれば調べてみてね…。

作家の人間としての一面が、必ずしも作品の理解につながるわけではないけれど、作家の人間性を知ると普段とはまた別の観点で作品を楽しく読めることもあると思うので。

 

 

ちなみに私が初めて自発的に太宰を読んだのは、高校の現代文で「富嶽百景」を読んだ後のこと。

現代文のかわいい先生が「太宰の「トカトントン」ってお話がすごくいいんですよ〜〜いっつもトカトントンって音が聴こえてくるんです、響きも楽しいでしょう?」とニコニコしながらお話されていたので、読んでみたらとんだ虚無ぴっぴストーリーでした。好きだけど。

 

いわゆる純文学作家の作品は、メッセージ性が強く、作家が命をかけて作り上げたものすごく崇高な何かで、読者はそこから崇高な何かを受け取らなければならないと思っていた当時の私は、この「トカトントン」で訳が分からなくなってしまい、そこからどうにか文学のこと、作家が考えていることを理解しようとした結果、なんやかんやで日本文学専攻の道に進み、そこから趣味の一つに好きな作家の書簡とエッセイと伝聞の粗探しが加わったのでした…。

 

鈴木三重吉を手始めに漱石先生界隈の話とかもまとめられたらよかったんですが、長くなってしまったのでこの辺で。

 

今回ちろっと取り上げた作品はみんな短編~中編でさくっと読めるので気になった方は是非読んで見てください~~~!!

シジミの話は「水仙」に出てきます。

青空文庫

太宰治 水仙

太宰治 トカトントン

スピリチュアルも割と大変

お久しぶりです!いつの間にか夏ですね!!

長きにわたる地獄の試験勉強は終わったものの、いまだ私はふわふわの身。もう神にも仏にもスピリチュアルにも頼りたくなるってものなので、今回はスピリチュアルのお話をします。

スピリチュアルの定義がガバガバなんですが、ここでは「科学では言及しないようなふわっとしたもの一般」を指すと思って読んでくれれば幸いです。

 

 

さて、スピリチュアル界隈では有名な(知らんけど)「子供は小さな時、生まれる前の世界を覚えていることがある」説をご存知でしょうか?

母はその説をずっと試して見たかったらしく、言葉が話せるようになってすぐの私に

「ねぇ、お母さんのお腹に来るまで何をしてたの?」

と聞いて見たところ

「うーん?…ぐりんぴーすごはん、たべてた!!!!」

と当時かわいい幼女だった私は、ドヤ顔でそう言い放ったそうです。嘘はよくない。

私にスピリチュアルパワーはこれっぽっちもないということを、まずここで明言しておきます。

 

 

私は信じるか信じないかは別として、スピリチュアルなものは面白いなぁと思っています。科学の力で徹底的に叩き潰そうとしているのをみると、そこまでしなくてもちょっとは夢見せてくれたっていいじゃない?とか思ってしまうタイプ。

(こんなんだから、「幸福を感じやすい遺伝子」の実験に協力してくれないか?という疑似科学な宗教勧誘に引っかかりました)

 

とはいえ、スピリチュアルを利用してお金ふんだくる系のものは科学の力でぶん殴っちまえオラァ!!!となるので、あくまで遠目で見るぶん、実害がでない範囲なら、そういう説もあるのかもね、だとしたら面白いねというのが私のスタンスです。

 

そんな私の母はスピリチュアル大好きで、実家には江原さんの本とか水は答えを知ってる系の本とか、運命がうんたらみたいな本が割とあります。読書好き…というか活字好きの宿命として、胡散臭いとは思えど本があるなら読まずにはいられない、というものがあり、私はこれまでそれなりの数のスピリチュアル本を読んできました。

その結果として思うのが、(私の主観では)ちゃんと納得できるし面白いものもあるということ。胡散臭いものはとことん胡散臭いんだけど。

 

実家にある数多くのスピリチュアル本の中でも、結構気に入ったのが、小林正観さんという方の著作。内容は自己啓発本寄りになるのかな…?

こうすれば生きやすくなる!みたいな人生のヒントがたくさん書いてある本です。

その中で面白いなぁと思ったのが、「宇宙を味方につける」というお話。内容をざっとまとめると、

 

  • 人間と神さまが出来ることにはもうありえないほどの隔たりがある
  • 人間の努力だけでどうにかするよりも、神さまの力を味方につけた方が人生ラク
  • 神さまを味方につけるには「不平不満、愚痴」を言わず、目の前の現象を喜び、感謝すること
  • 理不尽な現象は神さまに見込まれた証であり、文句を言わずに受けいれると、事態が好転する

 

…とまぁ、こんな感じ。

人生を楽に生きたい私にとっては、この考えは信じて損ではありません。

愚痴を言わず感謝ばっかりの人間は、神さま以前に周りの人間からも好印象ですし、実践する価値はあります。よりよい人生を送るために、よりよい人間になるのだ!!神さまを味方につけて人生イージーモードにするんだ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

………と思ったのが、実は中学生の時。

今の私は理不尽に対しても喜びと感謝でいっぱい…かというとそうではなく、自分のアパートの前で死んでいたセミをむぎゅっとしてしまい、こんなところで死んでんじゃね~~~~~~~~~~!!!!!!!!!と盛大な愚痴を空に向かって叫んでいるので、果たして神さまのご支援をいただけているかは微妙なところです。

 

スピリチュアルにしても宗教にしても何にしても、信じるだけでなくそれを実践に移すということが難しく、価値があるのであって、文字通り何もしなくても人生を楽に送れるなんてことは絶対にないんだよな~~~と思うこの頃です。

 

愚痴はほどほど、感謝多めでゆるゆると生きていこうね、スピリチュアルはスピリチュアルなりに大変なんだね、というそんなお話でした。

しうかつ童話「有田とキリギリス」

育った環境がいいと自分の将来に余裕が持てるのか、「人間力の勝負なら負ける気がしない」とか、「なんか仮想通貨が最近すごいらしいから大丈夫」とかいう楽観的人間は、いくつになってもいたりします。

キリギリスという青年もそのうちの一人でありました。

虫みたいな名前をしていますが、彼は大企業の御曹司で、美しく整った顔に浮かべる胡散臭いさわやかな笑顔は周りの人々を魅了してやみませんでした。

親の威光で光り輝き、人生を謳歌するそんな彼の友人の中に、有田という庶民がおりました。

いつもニコニコしているキリギリスとは対照的に、有田はいつも苦虫をかみつぶしたような顔をしており、彼が笑った日には雨が降るとまで言われていました。

子だくさんの家庭の長男に生まれたために、勉強はもちろん、料理に掃除に洗濯、弟や妹の世話、奨学金返済のためのバイト……、とやるべきことが有田にはたくさんありましたが、彼には一人でそのすべてをやり遂げる優秀さがありました。

 

しかし、不機嫌そうな表情にそっけない物言い、何より一人で何事もこなしてしまう能力の高さから、周りの人々は有田を尊敬しつつも、どこか近づきがたい雰囲気を感じていたのです。

だから、有田の仲のいい友人と呼べる友人はキリギリスくらいのものだったのでした。

 

さて、ある夏の日、いつものようにキリギリスが揚々と自作の歌を歌っていると、そこに一人の青年が歩いてきました。

「やあ、有田。そんなに汗をびっしょりかいて、何をしてるんだい?」

「これはキリギリスさん、わたしは職を探して駈けずりまわっているんですよ」

有田は眉間にしわを寄せ、苦虫をかみつぶしたような顔に笑顔を浮かべるという何とも形容しがたい顔でキリギリスに言いました。

「ふーん。だけど、まだ大学の3年生じゃないか。どうして、この時期からそんな頑張るんだい。

僕みたいに、お小遣いに困ればそのへんでお手伝いでもして、あとは楽しく歌を歌ったり、みんなと遊んだりしていればいいじゃないか」

「俺はお前と違って、大学出たら行くとこが決まってるわけじゃないんだよ。まだ3年だからとか言っても、今のご時世何があるかわからないからな。

今のうちにやることやっとかないと、お前もあとで困るかもしれないぞ」

有田がそう言うと、キリギリスは少し首を傾けてからにこりと笑って

「まだ3年生は始まったばかりだよ。就活のことはその時になったら考えればいいだろう?」

そう答えると、苦虫を10匹ほどかみつぶしたような顔になった有田を残して、また歌を歌いながら去っていきました。

 

それからも毎日キリギリスは陽気に歌って遊び、有田はせっせと就活にはげみました。

やがて3年生も終わり、彼らは大学の4年生になりました。

キリギリスは、ますます陽気に歌を歌っています。

 

そして、寒い寒い就職氷河期がやって来ました。

多くの企業が打撃を受け、それはキリギリスの父親の会社も例外ではありませんでした。人を雇う余裕がなくなった彼の父は、息子を「武者修行」という名目で社会の荒波に放り出しました。

 

当然、今までのうのうと暮らしてきたキリギリスが職を得るのは並大抵のことではありません。

「ああ、お腹が空いたな。困ったな。どこかに僕を雇ってくれるところはないかなあ。

…あっ、そうだ。有田は最近一人で会社を興したとか言っていたな。なぜかすぐにやめてしまう人も多いと聞いたけど…、あの有田ならどうにかしてくれるかもしれない。よし、有田のところに行ってみよう」

キリギリスは急いで有田の家にやって来ましたが、有田は家の中から、

「だから、時間に余裕があるうちに企業の情報を集めておけといっただろう。

会社は始めたばっかりで、正直まだまだ軌道に乗ったとは言えない。人を雇う余裕なんてないんだ。悪いけど、自業自得ってやつじゃないか」

と言って、扉を開けてくれませんでした。

 

キリギリスは雪の降る公園の真ん中で、冬と社会の寒さに震えながらしょんぼりしてしまいました。

そしてふと閃いたのです。有田の会社には何が足りないのかを。

キリギリスは再び有田の家へ向かって走り出しました。

 

「有田、有田!! この僕を君の会社に雇ってくれないだろうか。

僕は君と違って何も知らない、わからない。

だけど、人を喜ばせること、楽しませることなら誰よりもわかっているつもりだよ。どうか僕を助けてくれないだろうか。僕も君を助けたいんだ」

「人を喜ばせて、楽しませるだけで何ができるんだ。そもそも、今は人を雇う余裕がないと言っているだろう。まだまだ俺は頑張らないといけない。悪いが、邪魔をしに来たなら帰ってくれないか」

返ってきたのは、ため息交じりの声でした。

けれど、キリギリスは負けません。

「聞いて、有田。お前は昔から人一倍の努力家で僕と違って結果をちゃんと出している。本当に尊敬しているし、お前の忠告に耳を貸さなかった自分を恥ずかしく思うよ。

だけど、あんまりに一人で頑張っていると周りはさびしく思うんじゃないかな。もっと、有田の周りの人を頼ってあげれば、きっとみんなは喜ぶと思う…」

「なッ…!」

びっくりした顔で有田は立ちつくしました。彼に言われたことは図星でした。周りを顧みずにがむしゃらに働く社長についていける自信がないという言葉を残して、今朝方も一人の社員が彼のもとを去ったのでした。

「ねえ、有田。お願いだよ。僕もこれからは心を入れ替えるから、どうか君と一緒に頑張らせてくれないだろうか。

僕なら君と、君の会社のみんなとの橋渡しができると思うんだ」

 

こんなキリギリスの真剣な声を4年以上にわたる付き合いの中で有田は始めて聞きました。一瞬黙って唇を引き結んだあとにふっと頬を緩ませると、有田は扉をあけてキリギリスを中へ迎え入れました。

「そうだな、お前の言うとおり俺は一人で頑張りすぎていたのかもしれない。お前のそんな真剣な声は初めて聞いたよ、キリギリス。今の心を入れ替えるってセリフを忘れるなよ、いつもみたいに寝坊したり、仕事中にギターを弾きだしたりしたら即刻クビだからな?」

「もちろんさ、ただ、仕事中の鼻歌くらいは許しておくれよ?」

 

二人は顔を見合わせて笑いました。

 

さて、それから有田の会社はめきめきと業績を上げ始めました。努力を怠らず、頭も切れる有田の手腕と、周りを喜ばせようといつでもニコニコ楽しそうにしているキリギリスが、社員に素晴らしくいい影響を与えたのです。

いつも苦虫をかみつぶしたような顔をしていた有田にも笑顔が見え始め、キリギリスもすっかり働くことが楽しくなって、二人はそれからも仲良く楽しく働きましたとさ。

 

おしまい。

想像と創造のビートルズ

早くも洒落乙なタイトルにしちゃったことを後悔している。長々書いてみたけど、これは私が英語ができない、というだけの話だからだ…。

  

私はThe Beatlesの音楽が好きで、彼らの曲は高校生の時から勉強のお供だった。

メロディーが好みなのもあるが、日本語だとどうしても歌詞の内容に頭がいってしまうから勉強の妨げにならなかったことも理由の一つだ。

 

そんな訳で、The Beatlesの曲はリスニングで勝手に作り上げた壮大なイメージで内容理解をしていた。

ちなみに、私は人より英語ができない。どのくらいできないかと言うと100人以上の前で

 

「あうたむ スポーツ!(Autumn sports )」

 

と叫んでしまったくらいにはできない。 

受験期は私大の英文で「オペン…!?!?オペンってなんだ、またここで専門用語か…!??!!?」となって辞書を引いたら

 

「open(開く)」

 

と出てきた。辞書をぶん投げた。

 

 

けれど、好きな曲の内容も知らないで好きなんて言っていいのかなぁ…せっかくの名曲の中身を知らないのもなぁ…と思う気持ちが年々強くなってきたので、今更ながら今回和訳サイトをあたってみることにした。

 

 と、あらびっくり。今まで聞いていた曲は本当にこれか!?!?!!と思うくらい原曲の内容は想像とかけ離れていた。

 

んな訳で、ここでようやく本題。「言語が理解できないと全く違う曲が誕生してしまう」というお話です。

 今回はビートルズの中でも特に気に入っていて、中身が原曲とかけ離れていた二曲をご紹介します。

  

YouTubeとかで曲を流しながら読むと、より一層私の脳内イメージをお楽しみいただけるかもしれない。

 

まず一曲目が

The long and winding road
直訳すると「長く曲がりくねった道」でいいのかな。これに関してはそもそもタイトルから間違えていた。 

 

私はこの曲を結婚式の歌で、日本の「乾杯」的な感じの曲「The long and wedding road」(これ改めて見てみると形容詞と名詞が並んでる時点でヤバいな)だと思っていた。長渕剛さんごめんなさいだ。

 

実際はビートルズの解散のきっかけになった歌だとかなんだとか、曲が作られるまでの事情も複雑な一曲だった…らしい。

 

そんな複雑な1曲を、今までこれを長い長いバージンロードを通って花婿の元へ向かう花嫁とその父親の絵を浮かべて聴いてきちゃった訳だ。

言い訳するとwinding とwedding って耳で聞くぶんには似てるし、曲の雰囲気もそれっぽいので、私の目には父親の眼に浮かぶ涙、優しく笑顔で祝福する参列者の顔まで見えていた。

 

…が、和訳を見た瞬間に結婚式場は音を立てて崩壊した。

 

花嫁も花婿も涙を浮かべる父親も参列者も恐らく式場の下だろう。私の英語力が足りないばかりに沢山の犠牲を出してしまった。すまないことをした……。

 

 

気を取り直して二曲目

「We Can Work It Out」

ノリよくポップな曲で、タイトルの字面から「楽しく愉快に働こう!!!」な曲だと思っていて、これを聞く時の脳内ではパリピのにーちゃんが海の家で楽しくノリよく働いていた。なぜ海の家なのかは私にも分からない。

 

で、これまた和訳を見るとびっくり。この曲はうまくいかない恋人たちが苦難を乗り越えようとする歌で、オリジナル和訳タイトルは「恋人たちの悩み」。

 

「We Can Work It Out」は「僕らならうまくやれる」ってな具合に彼女を説得するセリフで、

 

「働くってサイコー!!ヒャッハー!!!!!」

 

では、どうやらないらしい。

 

なんてことだ。パリピのにーちゃんが急に陰がある男に見えてきてしまった。心なしかしょんぼりしているようにも見える。

ここでも私の英語力がないばかりに……。唇を噛み締めた。

 

というわけで、和訳サイトを軽い気持ちで見た結果、式場は崩壊し、パリピのにーちゃんの新たな一面を知ることになってしまった。

想像と現実のギャップは大きい。

 

「To be or not to be」を「あります、ありません、あれはなんですか?」と翻訳した明治の人にこれほど近しいものを感じたことはかつてないし、今後も二度とないだろう。 

 

20歳にして気づくことでは絶対にないが、言語の壁はかくも大きいものである、と実感させられる体験だった。言語ってツールだもんな。

 

こんなんに言われてもThe Beatlesの皆さんにもファンの皆さんにも頭を抱えられるだろうけど、「The long and winding road」も「We Can Work It Out」もめちゃくちゃいい曲なので是非聞いてみてください。
まとまらないのでこの辺でおしまい!

はじめまして

少し長めの文章を書く機会が最近なくなったなぁ、と思ったのでぬるっとブログを始めました。

好きなものは、昼寝と本と厚切りベーコン。嫌いなものは、雨に濡れた洗濯物と死にかけの蝉です。

 

どうでもいい話が好きなので、どうでもいい話をちゃんとできるよう尽力したいと思います。

 

ではでは〜