よもやま話とあれやこれ

どうでもいい話がたくさんできたらいいなぁ〜、と思っています!

見えないものを見ようとしない昨年末

 視力がとても悪い。多分0.1もないんじゃないだろうか。小学校高学年の時点で視力検査の輪っかはほぼ判別できず、視力検査は毎度私を惨めな気持ちにさせた。両親は私の近視の原因を遺伝もしくは本の読みすぎだと考えているようだが、布団の中でこっそりポケモンをやりすぎたせいだと私は知っている。そんな訳で、気がつけばもう人生の半分以上はメガネありきで過ごしている。

 

 昨年末、職場同期の忘年会にて、話題は「2023年に手を出して良かったもの/こと」になった。その時に同期のかわいい女の子が教えてくれたのがICL(眼内コンタクトレンズ)である。初めて知る概念だった。視力矯正の手段はメガネ、コンタクト、レーシックの3つくらいだと思っていたのだが、角膜を削るレーシックと違い、ICLは角膜を削らなくていいらしい。目の中にそのままレンズを入れるのだそうで、眼球を傷つけずないことが強みなんだそうだ。同期曰く「マジで革命が起こる」らしく、あなたも視力が相当悪いなら嬉しいのでは?ということで情報を共有してくれたのだ。

 が、びっくりするくらい心が動かなかった。視力悪いユーザーのほとんどはICLの概念を知った時、驚きもしくは喜びの感情を発露させる(同期調べ)ようなのだが、同期も驚くくらい私の感情は「無」であった。メガネをかけないと見えないのが当たり前になっていたから、ずっと見えすぎる方が私にとって異常になっていたようだ。あとは、手術料金に尻込んじゃったのもある(長い目で見れば、コンタクトを買うより全然安くはあるのだけど)。

 

 家に帰ってから、同居人にICLの概念と、それにあんまり心が動かなかった話をしたところ、「いつも視力が正常な方が絶対いいじゃん!」と力説された。

「手術料金も長い目で見れば絶対お得なんでしょう?」

 そうなんだけどさ…。明確な理由は別にないんだけど、なんか乗り気になれないんだよな〜どうやってこの気持ちを説明したもんかな〜〜、と考えていたところで、BUMP OF CHICKENのボーカル、藤原基央が眼鏡をかけない理由について「世界が見えすぎてしまうから」と語っていたことを思い出した。これだ。これにしよう。なんかかっこいい感じでうやむやにできるし。

「見えすぎる世界って怖くないかな?」

「なんで?」

 できるだけ知的に見えるよう微笑んだところ、澄んだ目でそう返された。そうだね、別に怖くはないよね。本気で不思議そうに聞かれるととても恥ずかしい。なんかカッコいいなと思って覚えていた言葉だけど、私は藤原基央ではないので、実際藤原基央にはどのように世界が見えているかわからないし、藤原基央は具体的に何が見えすぎて怖いと感じていたのかも知らない。

 でも、ここまで来たら最後までスカすしかない。苦し紛れに絞り出したのが「視力が悪いと、床はいつも髪の毛ひとつ落ちていないし、自分の顔が少し美人に見えるよ」という、絶対藤原基央は言わないだろうし、言ってほしくない言葉だった。なお、これに対する友人の返答が「ただの現実逃避やんけ」である。おっしゃる通り。

 

 情緒ある言葉であっても、使い方次第でめちゃくちゃにできるんだなぁと一抹の切なさと共に思った出来事である。それでもどうか大好きだと言わせてほしい、BUMP OF CHICKENのこと……。

『死なれちゃったあとで』トークイベントに行ってきたよ日記

 昨年の秋、気になって買った同人版の『死なれちゃった後で』になんだこれすごい!!となり、今年に商業版が出てわぁ嬉しい!?!?となり、気がつけば5月10日の刊行イベントに申し込んでいた。前田さんと岸本さんお二人ののほほんとした雑談からゆるやかに本題に入っていく感じがとてもよかったな。空気も張り詰めた感じはなく、登壇者も聞き手も自然体に見えたのが印象的で素敵な空間だった。

 私の受け取り方の問題でニュアンスが違っていたら大変に恐縮なんだけど、覚えているトピックをいくつか。


最初から「死」がテーマの本を作るつもりだったのか

前田さん:

一つのテーマで本を作るとなるとこれしかなかった。これなら書けるな、というトピックをいくつか挙げたら全てが死にまつわるもので、そういうテーマになった。

Twitterのやりすぎで、140字に情報を圧縮した文章に慣れすぎてしまったため、エッセイを書くのには苦労した。

 

後悔を捨てたくない、後悔をしてもいい

岸本さん:

「前を向いて生きていこう」という言葉に「うるせ〜〜!!!!」ってなることはあるよね。クヨクヨしたいというか。だから、前田さんのこの言葉は嬉しかった。

 

ヤンキーマドンナ

 確か、岸本さんが前田さんにターニングポイントの質問をされた時の話。「聞く」ということのターニングポイントになった出来事として、中学3年生の終わりの思い出を話してくれた。

 溜まり場になっているいつメンの家で、なぜだかその日の夜は「アイツ呼ぼうぜ!」とクラスの女子(ヤンキーに好かれそうなタイプの女子だったため、以下「ヤンキーマドンナ」という。)をいつメンの一人が呼び出したところ、なんとヤンキーマドンナがやってきた。夜更けをすぎ、朝になるまでに一人また一人と沈没していき、気がつくと起きている人間は前田さんと彼女の二人になっていた。ぽつりぽつりと二人で雑談をするうちに、彼女がふっと、父親が暴力を振るうこと、母と二人で近くの健康ランドで夜を明かしたこともあったことを話してくれたという。多分、彼女の友人にも誰にも話したことのない話を自分にしてくれたのではないか、と思ったそうだ。

 それが人の話を「聞く」ということのターニングポイントだったように思う。


エッセイの文体について

前田さん:

自分と文章の語り口が一致しているようにしたい。バラバラなのは嫌だ。

 

 このトピックの時だったかは忘れたけど、いい話になりそうな題材に出会った時も「いい話で終わらせないぞ!」「現実のシビアさというかリアルさも残しておきたい」という気概の話でお二人が盛り上がっていたのもよかった。

 

その他

 一番最初の雑談で触れられていた大川周明の奇行の話とか、なんの流れでそうなったのか忘れたけど、岸本さんがお話されていた『星の王子様』のパロディ本、『ポルノ王子様』のお話もよかったな。気になって調べてみると『ポルノ王子様』は今一冊1万円くらいで売られていた。すごいや。

 最初にも思ったけど、このトークイベントでは雑談と本題の境目があまり感じられず、ふと気がついたら本題になっている瞬間が度々あった。上手な落語家さんの落語を聞いている時ってそういえばこんなんだったな〜と思うとともに、このスタンスが『死なれちゃったあとで』っぽいな〜とも思った。当たり前の生活や、なんてことない雑談の延長に話したいことがある感じとか、ライトに話すことで段々と話したいことが見えてきたり話せたりする感じとかが……。

 本に書かれていることを体感できる機会はなかなかないのでそういう意味でも行ってよかったイベントだったと思う。いい時間でした。

 

宮沢賢治記念館行ってきたよ日記2023

2023年夏に岩手旅行で訪れた宮沢賢治記念館について、途中で力尽きていた日記があったので、少しだけ追記して半年以上経った今公開する。毎回こんなんばっかだな。

 

突然だけど、私は宮沢賢治の童話が好きだ。人と動物と自然とが説教くさくなく対等に、のびのびと動き回っているあの感じがとてもとても好きだ。

ただ、賢治作品を理解できているのかといえばそんなことは決してなく、バイブスの部分で「なんか好き」を感じるタイプの愛し方をしている。日本文学専攻だった学生時代に小説の先行研究を見ても今ひとつ納得には至らず、詩に至っては短い詩の一編だけで???マークが飛び交うので恥ずかしながら未だ『春と修羅』は最後まで目を通せていない。高校生の時に現代文で扱った「永訣の朝」は、詩の中で登場する「Ora Orade Shitori egumo」をオランダ語だと思っていたら(多分Oraに引っ張られたんだろう)、思いっきり日本語だったし、作品鑑賞以前のところで蹴つまずいている感じがすごい。それでも好きだと言わせてほしい。賢治作品のこと……。

だから、ずっと賢治が生まれ育った町は見てみたかったし、宮沢賢治記念館もいつかは絶対に行こうと決めていた。そこで大学同期から温泉旅行のお誘いを受けた時、これだ〜!とガシガシと岩手旅行のプレゼンをするに至った。とりあえず今回は備忘録として記念館行ってきたレポをまとめておく。

 

1.宮沢賢治記念館について

宮沢賢治記念館は、その名の通り宮沢賢治の作品や功績について多くの資料と作品を展示している施設である。展示物のほとんどは撮影OKだ。近くには宮沢賢治イーハトーブ館、宮沢賢治童話村など付近一体に宮沢賢治に関する施設が固まっている。

記念館までは花巻駅もしくは新花巻駅からバスが出ており、今回は花巻駅からバスで向かうことにした。……が、到着するまで知らなかったのだが、記念館は小高い丘(と口コミにはあるが体感としては山だ)の上にあり、徒歩の場合は367段の階段を登り切らないといけない。そして、バス停は階段の下にあるので頑張るしかない。階段は一段ごとに「アメニモマケズ」の五十音がひとつづつ割り振られていて、疲れてくるとそれにもなぜかイライラしてくる。「アメニモマケズ」の語数に合わせてこの階段をつくりました!とかだったら大暴れしてしまうな…と胸中で怒りを募らせ、息を切らしながら記念館を目指す。結果としてはアメニモマケズ+10段ちょいくらいだったけど、逆になぜ367段なのだろう……。友人共々よれよれになりながら記念館の入り口を目指す。

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2.展示色々

記念館は基本的に写真撮影OK。壁は「科学」、「芸術」、「宇宙」、「宗教」、「農」というテーマに分けられ、ぎっしりと資料が…!展示資料の写真は、三重吉くんと絡みもあったのか!と嬉しくなったこれくらいしか残っていなかった。もっとバシャバシャ撮っておけばよかったなぁ。

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展示コーナーには賢治愛用のチェロも!個人的に面白いと思ったのが4人が向かい合って同時に見れる譜面台。だけど、誰か一人が高さを変えたいと思った時のことが全く想定されてなくて面白い。
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3.特設展

これが一番面白かった!『銀河鉄道の夜』の推敲記録。じっくりみれて幸せだった。『銀河鉄道の夜』の原稿は推敲に推敲を重ねられており、かつ賢治は原稿に番号を振らない人だったそうで、当初はどういう順序で読み進めていくべきか編集側が理解できていなかった。少しづつ改善されながら全集が出版されたという、そんな展示だ。

カムパネルラの死を知るタイミングが初期の本では一番最初だったらしくびっくり。

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4.宮沢賢治の年譜について

同じく東北出身の啄木くんの人生はあんなにめちゃくちゃなのに、あまりに整然とした人生で逆に驚いた。けど、賢治に関してはめちゃくちゃな人生じゃなくてよかったなとも思う。

 

5.その他まとめ

宮沢賢治童話村は「空間とバイブスで感じる宮沢賢治」という印象で眼福。

その前後で訪れた花巻温泉郷も気持ちいいところだったし、盛岡冷麺と小岩井農場のバタークッキーが美味しかったので、夏の岩手旅行、オススメです。楽しかった!

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読書感情文『十二国記』(〜図南の翼)

『十二国記』、既刊は読み終えたので、『図南の翼』までの率直な初見感想を後の自分のために残しておきます。ハマるタイミングってあるけど、私は大人になった今のタイミングで読めてよかった。風の万里上巻とか、今読むから鈴や祥瓊の甘さがわかり、そこからの成長を楽しめたりね。

そして、『白銀の墟 玄の月』まで読むと、この世界はこういうもんなのね、とこれまで納得していた世界のルールの土台にもアレ?という疑念を読者に抱かせてきて、これからどうなっちゃうんでしょうあの世界。あと、あちこちで仄めかされている「柳ヤバくね?」の核心すごく気になる。柳の王様何があったん??これから出てくるのかな???


『月の影 影の海』

学生時代に一般教養〜、と思って読んで以来だったんだけど、社会人になったからか沁みる沁みる。全部読んでから戻ると、陽子ちゃんは最初からずっと自分自身という領地を収めることができる王様だったんだよなぁ。

 

『風の海 迷宮の岸』

なぜか順番を間違えて東の海神の後に読んだ。本筋とは関係ないんだけど、大人たちが子供を子供として扱ってくれてるのが嬉しかったな。最後の麒麟たちのわちゃわちゃ、最高。


『東の海神 西の滄海』

こういう大人…いるよな…。わかる!知ってる!!


『風の万里 黎明の空』

慶国のその後が見れるの嬉しいよお!これも上巻はハードだっただけに、下巻の展開がいっそうスカッとする。あと、どん詰まりになったタイミングでの満を持しての名乗り、大好き〜〜〜😭😭😭

白銀の墟の解説では、『十二国記』の魅力の一つとして、水戸黄門要素について触れられており、みんな大好きなアレのオリジンは黄門だったのか……と妙に納得しました。

あとは最後、初勅のところでほろほろ涙してしまった。大好きな陽子ちゃんのままで王様やってるのが嬉しくて…😢


『図南の翼』

高飛車だけど傲慢ではなく、王の責務を弁えている、陽子とはまた違うタイプの魅力的な王様だな〜と思った貴女の原点に出会えて嬉しい。あとは黄海で会えた貴方もお元気なようで嬉しい。

 

続きもまとめられる元気があったらまとめたい……!『十二国記』をほそぼそと勧めてくださった皆さんありがとう!最高の読書体験でした。

12/24の日記〜坂本図書に行ってきたよ〜

 昨年のことではあるけど、坂本図書に行ってきたので自分のための備忘録を残しておこうと思う。坂本図書はその名の通り、坂本龍一の所蔵していた本を手に取って読むことができる空間だ。3時間で3300円(当時)なのでそれはもう存分に本が読めるし、1時間あたり1000円だから頑張って読まねば…!という気合いも入る。もううろ覚えだけど、印象としては1/3くらいは洋書で、和書の方も哲学、文学、科学、料理、漫画…と分野は多岐にわたっていた。

 小説、漫画、ご飯が私の興味の大半を占めるため、手に取った本は大体その辺の分野である。以下、読んだ本と時間的に読めなかったけど気になった本、雑感をまとめておく。

 

【読んだ本】

『大絃小絃』野口晴哉

→健康のこととか人生観を綴ったエッセイ。著者の方を存じ上げず、雰囲気からして整体師さんなんかな〜と思って後から調べたら整体界のレジェンドの方でした…。〇〇さんと付き合いたい!ではなくて、〇〇な人と付き合いたい!のように、人で絞らず、人を構成する要素で絞るとお付き合いは上手くいく、という身体の話ではないところが刺さりました……。歳かな。

 

『夜中に台所でぼくは君に話しかけたかった』谷川俊太郎

→タイトルに惹かれて手に取った一冊。そこまで谷川さんの詩集を読んできてるわけではないんだけど、他の作品と比べるとメッセージ性が強かった印象。詩集できた経緯を調べて納得。

 

『静かな生活』大江健三郎

→そういえば大江健三郎ってちゃんと読んだことなかったと思って読んでみた本。知的障害がある兄を持つ女学生とその家族の物語。近所で起きる事件や、家族の進路や転機の話、障がいをもつ人に向けられる目線など、大きな何かが起こる話ではないんだけど、だからこそリアリティが際立つ繊細な小説だったと思う。よかった。

 

『いのちの窓』河合寛次郎

→詩ともなんともわからない言葉が沢山収められているんだけど、とにかくその言葉の組み合わせが綺麗で圧倒されました。すごく雄大な大自然見た時とかと同じ感動。感動の記憶はあるのに内容ほとんど覚えていないので、本買おうかなと検討中。

 

『夜明け』吉田秋生

→吉田秋生の短編集。カリフォルニア物語、バナナフィッシュの伊部さん、ブランカのお話が読めたよ。別の本でも読んだ記憶はあるんだけど、やっぱり「Fly boy, in the sky」大好きだ…。坂本龍一もファンだったのか〜と思って読んでいたら、「坂本龍一からの質問状」という坂本龍一から吉田秋生への一問一答×50(100だったかもしれない)の特集が出てきて、ガチやん……となりました。

 

『作り置きレシピ』有元葉子

→凝ったメニューはほぼなく、お家にある材料でできる素朴なメニューがたくさんで嬉しくなりました。家庭料理大好きなので。小松菜の塩揉み(小松菜を刻んで塩で揉んだもの)と胡麻と揚げ蒲鉾の和えたご飯が特に美味しそうだったな。揚げ蒲鉾をじゃことが油揚げに変えたらお手軽にできそう。小松菜の塩揉みは汎用性高そうなので早速作ってみたんだけど、おにぎりの具にしても、混ぜご飯にしても美味しかったです。

 

【読めなかった本】

『少女椿』丸尾末広

→読むんだ……丸尾末広……。

 

『瘋癲老人日記』谷崎潤一郎

→仮名遣いが旧字体のものだったというのもあるけど、全体的に無理な気配を感じたので途中リタイア。谷崎潤一郎とはどうにもバイブスが合わないようで、教養のため!と高校生の時に買った『細雪』上中下巻は、これまで3.4回ほどトライして上巻半ばでいつも力尽きてしまっている。

 

・中国語の本も多く、中国語に親しい人だったのかな〜という印象を受けました。f:id:pompom1103:20240107223104j:image

没ネタ供養「私的なんかいい話」

 人のなんかいい話が好きだ。この「なんかいい」の定義が難しいのだが、じわじわとした余韻があって、人間の人間らしいところがみられる話が、おそらく私基準の「なんかいい」なのだと思う。せっかくブログでもやっているのだし、自分の中でいいな〜と思ったものについてはそのうち文章でまとめてみるかな…と思って1.2年前にちまちまと書いてみたのだけど、ある時友人に「なんかいい話聞いて~」と、当時とっておきのなんかいい話を披露した際、「あなたのなんかいい話は誰かしらが酷い目にあいがちで全然ほっこりしない。」と指摘された。そうかもしれない。というか、確かに「なんかいい」って言われたらほっこり話を想像する人もいるだろう。オモロ波長のチューニングがされていない状態でこれらを「なんかいい話」として提供されたら不愉快になる人もいるだろうし、そもそも人の話だとプライバシー問題だってあるよな…となってボツとした次第である。

 この度久々にその時の下書きを発見したので見返してみると、既に書きあげていた2編は、祖母の話と匿名SNSで一度だけ会話したお姉さんのお話だった。という訳で、せっかく書いてたしもったいないから……という理由で眠っていた下書きを数年越しに公開してみる。なんかいいな、と思ってくれた人には今度飴ちゃんとかあげるね。

 

「署内で静かに燃え上がっていたってわけですよ…」

 ひとり暮らしは気楽だけど、時折寂しさのビッグウェーブがやってくる。いつもはやり過ごせる寂しさが妙に沁みるそんな折に、ひと月ちょい程、見知らぬ相手と音声通話ができる匿名SNSを家事の片手間にやっていた。

 その日の通話相手は私より少し年嵩のお姉さんで、話題は会社の人間関係だったと思う。ひと通りお互いの話をした後に「そういえば、消防士の元カレから聞いた話なんですけど〜」と話してくれたのが、「消防署の署長とそこに派遣でやってくる掃除のおばさん(未亡人)の不倫話」であった。署内公認の事実だったらしい。なんかインモラルでえっちですよね〜とふふふっと笑いながら話してくれた後に「恋の炎は署内で静かに燃え上がっていたってわけですよ…」と締めてくれた。

 それから生活が少しづつ忙しくなり、寂しさビッグウェーブも収まったため、そのSNSアプリは消してしまった。あの日お話ししたお姉さんもインモラル消防署にお勤めの元カレさんも元気でやっているといいな、と思う。

 

「鳩……鳩はダメよ……」

 母方の祖母は北陸の生まれである。彼女の生家は地元では有名な商家で、祖母はいわゆるお嬢様であった。ただ、現在の祖母は節約を尊ぶどこにでもいる一般人である。いかにして彼女とそのきょうだいたちが一般人になったのかというと、彼女の父(私から見て曾祖父)が原因であった。

 うまい儲け話はどの時代でもあるもので、祖母が子供だった当時は鳩がアツかったそうだ。レース鳩人気なのかと当たりをつけて調べたところ、どうやらそれだけでもないらしい。数少ない当時の記録を見た感じでは、レース鳩だけではなく鳩を飼育すること自体が当時の流行だったようだ。なんだその流行。

 さて、祖母は商家の家系であったが、曽祖父はその家に生まれたにしては人が良すぎる性格であったという。周りに言われるがままに流行商売に手を出し、鳩を買ってしまった。競技用だったのか愛玩用だったのかは不明だ。当時の祖母の記憶は「なんだかよくわからないけど突然家に真っ白で綺麗な鳩がやってきたなぁ」というものだそうで、鳩を持ってきた曽祖父はただニコニコと微笑んでいただけだったというから、祖母の家で鳩の存在理由についてわかっている人間は多分誰もいなかったんだろう。

 とにもかくにも鳩を購入してしまった曽祖父だが、移り変わりが激しい流行の世界で、人が良いだけの素人が成果を出せるだろうか。否だ。鳩商売の結果は散々で、大損をした曾祖父は持っていた資産や土地を少なくない程度売却することになった。そうして祖母とそのきょうだいたちは庶民としての人生を生きることになったのである。

 そして、今でも祖母のきょうだいたちが地元で集まるたびに「あそこも、あそこも、ぜーんぶ昔はうちの土地だったのにねぇ。」「田んぼも、工場も、全部売った。」「鳩……鳩はダメよ……。」と昔を偲んではそれぞれため息をつくという。鳩が原因で傾いた家というのもこの世には存在する。

読書感情文『死なれちゃったあとで』

 「あ〜よかったな〜」と読後に思う本はいっぱいあるけど、久々に「あ〜よかったな〜」に加えて、「感想を聞いてくれ!そして君も読んでくれ!」な本に出会ったのでお話しさせてください。『死なれちゃったあとで』という本です。個人で出されてる本なので、BOOTHで購入するのが一番手っ取り早く手に取れる方法だと思います。

 タイトル見てもうわかると思うんだけど、この本のテーマは「死」。作者の身近で起こった死にまつわる出来事のあれこれや考えが綴られたノンフィクションです。ちょっとしんどい内容もあるかもしれないけれど、読後は全然暗くなることはなく、カラッとした気持ちよさと少し寂しさの風が吹く感じでした。


 この本について何よりいいなぁと思ったのは、亡くなった人の死に方や生前のスタンスについて、正しい/間違っているといった態度がずっとなかったこと。『死なれちゃったあとで』の中で一番最初のお話は「針中野の占い師」という友人の自殺にまつわるもので、大学時代の友人Dが自殺で亡くなったらしい、という連絡を作者が受けたところから話が始まります。

 生前のDはこういう人間で自分とはこういう思い出があって、という話の後に、自殺の報を受けた時自分がどう思ったか、その後の通夜とお葬式で出会った人たちとのあれこれ……という流れで話が進んだところで気がついたけど、友人が死を選んだことへの意見とかあの時ああしていれば……みたいな過去への後悔の描写がほとんどない。タイトルの通り「死なれちゃったあと」に残された人たちは何を考え、何をしたのか、これはそういう本なんだ……。

 そこから全編通して読んでみると「死は生きていく中で発生する現象で、その現象自体に良い悪いの性格はない」みたいな捉え方を作者の方はされているのかなという印象を受けました。特に自殺という形で死を選んだ人について語るのってすごく難しいと思うんだけど、自殺した人間を美化するでもなくこき下ろすでもなく、自殺でもなんでも死は等しく死として扱っているところに、作者の信念や覚悟みたいなものを感じます。「針中野の占い師」は後日談の「種子島へ」と併せて読むと、人生の面白さとか人間の強さをみることができて最高になれますので何卒。

 

 あとは、事故で亡くなった作者の父についてのお話「父の死、フィーチャリング金」もすごくよかった。まずタイトルが良すぎるし、父の葬式準備のエピソードもじんわりと良い。

葬儀屋と打ち合わせ。思考力が低下していることを見越して、たとえば棺だと「A:50万円 B:30万円 C:10万円」のように選ぶようになっている(p.29)

Cが見るからに安っぽいので、結局は「Bでいいか」となる。Bを選んだことで「普通の価格帯を選んだ」とつい思ってしまいそうになるが、もちろんそれは錯覚で、Bも十分高いのである。全てをBで選ぶと、かなりの金額になってしまう(なった)。(p.30) 

 これ最高だ。生活の中に当たり前に存在する死というか、死で商売するってそういうことだよな……というものが見えてよかった。特別なことではあるけれど、死って日常の中でありふれていることでもあるんだよな〜。このエピソードは、死とは切っても切り離せないお金にまつわるもので、金額の大小は気持ちの大小と決してイコールではないんだけど、それでもその金額で人との関係性が見えてしまう、というちょっぴりの切なさと学びを得られる話。

 「死」がテーマの文章って当然どうしても重たく暗くなりがちなんだけど、淡々とした語り口があってか本作はサラッと読めるのがすごい。さらに一つ一つのエピソードに発見や共感があるし、何より読み終わった後に誰かに話したくなる一冊だった。

 

 幼い頃は「死」というのはとても遠い概念で、ものすごく歳をとったおじいちゃんやおばあちゃんにしか関係ないことだと思っていたけれど、それなりに歳をとってみてわかったのは、人は結構突然死んでしまうということだ。病気だったり、事故だったり、自殺だったり。大人になるとそういった突然の死に対応しないといけない時がどうしても発生してしまう。

 私自身も社会人になってからそんなときがあった。先週まで普通にやりとりしていた人が突然いなくなるというのはショックだった。けれど毎日は忙しく、さらに亡くなった後に残された案件の対応で奔走するため、落ちつきどころを見つける前に、モヤモヤとした感情の塊のままその時の自分の気持ちは日々の忙しさに飲み込まれてしまった。あれからしばらく経った今、ふとあの時整理できなかった気持ちのことを思い出したのは絶対に『死なれちゃったあとで』の影響だ。この本を誰かに話したくなるのって、読者それぞれに忘れられない死にまつわる思い出や当時は整理できなかった気持ちがあるからなのかもしれない。


 以上、とてもいいお買い物をしましたというご報告と長々とした感想文でした。秋の夜長にぜひ。

 

booth.pm