よもやま話とあれやこれ

どうでもいい話がたくさんできたらいいなぁ〜、と思っています!

宮沢賢治記念館行ってきたよ日記2023

2023年夏に岩手旅行で訪れた宮沢賢治記念館について、途中で力尽きていた日記があったので、少しだけ追記して半年以上経った今公開する。毎回こんなんばっかだな。

 

突然だけど、私は宮沢賢治の童話が好きだ。人と動物と自然とが説教くさくなく対等に、のびのびと動き回っているあの感じがとてもとても好きだ。

ただ、賢治作品を理解できているのかといえばそんなことは決してなく、バイブスの部分で「なんか好き」を感じるタイプの愛し方をしている。日本文学専攻だった学生時代に小説の先行研究を見ても今ひとつ納得には至らず、詩に至っては短い詩の一編だけで???マークが飛び交うので恥ずかしながら未だ『春と修羅』は最後まで目を通せていない。高校生の時に現代文で扱った「永訣の朝」は、詩の中で登場する「Ora Orade Shitori egumo」をオランダ語だと思っていたら(多分Oraに引っ張られたんだろう)、思いっきり日本語だったし、作品鑑賞以前のところで蹴つまずいている感じがすごい。それでも好きだと言わせてほしい。賢治作品のこと……。

だから、ずっと賢治が生まれ育った町は見てみたかったし、宮沢賢治記念館もいつかは絶対に行こうと決めていた。そこで大学同期から温泉旅行のお誘いを受けた時、これだ〜!とガシガシと岩手旅行のプレゼンをするに至った。とりあえず今回は備忘録として記念館行ってきたレポをまとめておく。

 

1.宮沢賢治記念館について

宮沢賢治記念館は、その名の通り宮沢賢治の作品や功績について多くの資料と作品を展示している施設である。展示物のほとんどは撮影OKだ。近くには宮沢賢治イーハトーブ館、宮沢賢治童話村など付近一体に宮沢賢治に関する施設が固まっている。

記念館までは花巻駅もしくは新花巻駅からバスが出ており、今回は花巻駅からバスで向かうことにした。……が、到着するまで知らなかったのだが、記念館は小高い丘(と口コミにはあるが体感としては山だ)の上にあり、徒歩の場合は367段の階段を登り切らないといけない。そして、バス停は階段の下にあるので頑張るしかない。階段は一段ごとに「アメニモマケズ」の五十音がひとつづつ割り振られていて、疲れてくるとそれにもなぜかイライラしてくる。「アメニモマケズ」の語数に合わせてこの階段をつくりました!とかだったら大暴れしてしまうな…と胸中で怒りを募らせ、息を切らしながら記念館を目指す。結果としてはアメニモマケズ+10段ちょいくらいだったけど、逆になぜ367段なのだろう……。友人共々よれよれになりながら記念館の入り口を目指す。

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2.展示色々

記念館は基本的に写真撮影OK。壁は「科学」、「芸術」、「宇宙」、「宗教」、「農」というテーマに分けられ、ぎっしりと資料が…!展示資料の写真は、三重吉くんと絡みもあったのか!と嬉しくなったこれくらいしか残っていなかった。もっとバシャバシャ撮っておけばよかったなぁ。

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展示コーナーには賢治愛用のチェロも!個人的に面白いと思ったのが4人が向かい合って同時に見れる譜面台。だけど、誰か一人が高さを変えたいと思った時のことが全く想定されてなくて面白い。
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3.特設展

これが一番面白かった!『銀河鉄道の夜』の推敲記録。じっくりみれて幸せだった。『銀河鉄道の夜』の原稿は推敲に推敲を重ねられており、かつ賢治は原稿に番号を振らない人だったそうで、当初はどういう順序で読み進めていくべきか編集側が理解できていなかった。少しづつ改善されながら全集が出版されたという、そんな展示だ。

カムパネルラの死を知るタイミングが初期の本では一番最初だったらしくびっくり。

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4.宮沢賢治の年譜について

同じく東北出身の啄木くんの人生はあんなにめちゃくちゃなのに、あまりに整然とした人生で逆に驚いた。けど、賢治に関してはめちゃくちゃな人生じゃなくてよかったなとも思う。

 

5.その他まとめ

宮沢賢治童話村は「空間とバイブスで感じる宮沢賢治」という印象で眼福。

その前後で訪れた花巻温泉郷も気持ちいいところだったし、盛岡冷麺小岩井農場のバタークッキーが美味しかったので、夏の岩手旅行、オススメです。楽しかった!

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読書感情文『十二国記』(〜図南の翼)

十二国記』、既刊は読み終えたので、『図南の翼』までの率直な初見感想を後の自分のために残しておきます。ハマるタイミングってあるけど、私は大人になった今のタイミングで読めてよかった。風の万里上巻とか、今読むから鈴や祥瓊の甘さがわかり、そこからの成長を楽しめたりね。

そして、『白銀の墟 玄の月』まで読むと、この世界はこういうもんなのね、とこれまで納得していた世界のルールの土台にもアレ?という疑念を読者に抱かせてきて、これからどうなっちゃうんでしょうあの世界。あと、あちこちで仄めかされている「柳ヤバくね?」の核心すごく気になる。柳の王様何があったん??これから出てくるのかな???


『月の影 影の海』

学生時代に一般教養〜、と思って読んで以来だったんだけど、社会人になったからか沁みる沁みる。全部読んでから戻ると、陽子ちゃんは最初からずっと自分自身という領地を収めることができる王様だったんだよなぁ。

 

『風の海 迷宮の岸』

なぜか順番を間違えて東の海神の後に読んだ。本筋とは関係ないんだけど、大人たちが子供を子供として扱ってくれてるのが嬉しかったな。最後の麒麟たちのわちゃわちゃ、最高。


『東の海神 西の滄海』

こういう大人…いるよな…。わかる!知ってる!!


『風の万里 黎明の空』

慶国のその後が見れるの嬉しいよお!これも上巻はハードだっただけに、下巻の展開がいっそうスカッとする。あと、どん詰まりになったタイミングでの満を持しての名乗り、大好き〜〜〜😭😭😭

白銀の墟の解説では、『十二国記』の魅力の一つとして、水戸黄門要素について触れられており、みんな大好きなアレのオリジンは黄門だったのか……と妙に納得しました。

あとは最後、初勅のところでほろほろ涙してしまった。大好きな陽子ちゃんのままで王様やってるのが嬉しくて…😢


『図南の翼』

高飛車だけど傲慢ではなく、王の責務を弁えている、陽子とはまた違うタイプの魅力的な王様だな〜と思った貴女の原点に出会えて嬉しい。あとは黄海で会えた貴方もお元気なようで嬉しい。

 

続きもまとめられる元気があったらまとめたい……!『十二国記』をほそぼそと勧めてくださった皆さんありがとう!最高の読書体験でした。

12/24の日記〜坂本図書に行ってきたよ〜

 昨年のことではあるけど、坂本図書に行ってきたので自分のための備忘録を残しておこうと思う。坂本図書はその名の通り、坂本龍一の所蔵していた本を手に取って読むことができる空間だ。3時間で3300円(当時)なのでそれはもう存分に本が読めるし、1時間あたり1000円だから頑張って読まねば…!という気合いも入る。もううろ覚えだけど、印象としては1/3くらいは洋書で、和書の方も哲学、文学、科学、料理、漫画…と分野は多岐にわたっていた。

 小説、漫画、ご飯が私の興味の大半を占めるため、手に取った本は大体その辺の分野である。以下、読んだ本と時間的に読めなかったけど気になった本、雑感をまとめておく。

 

【読んだ本】

『大絃小絃』野口晴哉

→健康のこととか人生観を綴ったエッセイ。著者の方を存じ上げず、雰囲気からして整体師さんなんかな〜と思って後から調べたら整体界のレジェンドの方でした…。〇〇さんと付き合いたい!ではなくて、〇〇な人と付き合いたい!のように、人で絞らず、人を構成する要素で絞るとお付き合いは上手くいく、という身体の話ではないところが刺さりました……。歳かな。

 

『夜中に台所でぼくは君に話しかけたかった』谷川俊太郎

→タイトルに惹かれて手に取った一冊。そこまで谷川さんの詩集を読んできてるわけではないんだけど、他の作品と比べるとメッセージ性が強かった印象。詩集できた経緯を調べて納得。

 

『静かな生活』大江健三郎

→そういえば大江健三郎ってちゃんと読んだことなかったと思って読んでみた本。知的障害がある兄を持つ女学生とその家族の物語。近所で起きる事件や、家族の進路や転機の話、障がいをもつ人に向けられる目線など、大きな何かが起こる話ではないんだけど、だからこそリアリティが際立つ繊細な小説だったと思う。よかった。

 

『いのちの窓』河合寛次郎

→詩ともなんともわからない言葉が沢山収められているんだけど、とにかくその言葉の組み合わせが綺麗で圧倒されました。すごく雄大大自然見た時とかと同じ感動。感動の記憶はあるのに内容ほとんど覚えていないので、本買おうかなと検討中。

 

『夜明け』吉田秋生

吉田秋生の短編集。カリフォルニア物語、バナナフィッシュの伊部さん、ブランカのお話が読めたよ。別の本でも読んだ記憶はあるんだけど、やっぱり「Fly boy, in the sky」大好きだ…。坂本龍一もファンだったのか〜と思って読んでいたら、「坂本龍一からの質問状」という坂本龍一から吉田秋生への一問一答×50(100だったかもしれない)の特集が出てきて、ガチやん……となりました。

 

『作り置きレシピ』有元葉子

→凝ったメニューはほぼなく、お家にある材料でできる素朴なメニューがたくさんで嬉しくなりました。家庭料理大好きなので。小松菜の塩揉み(小松菜を刻んで塩で揉んだもの)と胡麻と揚げ蒲鉾の和えたご飯が特に美味しそうだったな。揚げ蒲鉾をじゃことが油揚げに変えたらお手軽にできそう。小松菜の塩揉みは汎用性高そうなので早速作ってみたんだけど、おにぎりの具にしても、混ぜご飯にしても美味しかったです。

 

【読めなかった本】

少女椿丸尾末広

→読むんだ……丸尾末広……。

 

『瘋癲老人日記』谷崎潤一郎

→仮名遣いが旧字体のものだったというのもあるけど、全体的に無理な気配を感じたので途中リタイア。谷崎潤一郎とはどうにもバイブスが合わないようで、教養のため!と高校生の時に買った『細雪』上中下巻は、これまで3.4回ほどトライして上巻半ばでいつも力尽きてしまっている。

 

・中国語の本も多く、中国語に親しい人だったのかな〜という印象を受けました。f:id:pompom1103:20240107223104j:image

没ネタ供養「私的なんかいい話」

 人のなんかいい話が好きだ。この「なんかいい」の定義が難しいのだが、じわじわとした余韻があって、人間の人間らしいところがみられる話が、おそらく私基準の「なんかいい」なのだと思う。せっかくブログでもやっているのだし、自分の中でいいな〜と思ったものについてはそのうち文章でまとめてみるかな…と思って1.2年前にちまちまと書いてみたのだけど、ある時友人に「なんかいい話聞いて~」と、当時とっておきのなんかいい話を披露した際、「あなたのなんかいい話は誰かしらが酷い目にあいがちで全然ほっこりしない。」と指摘された。そうかもしれない。というか、確かに「なんかいい」って言われたらほっこり話を想像する人もいるだろう。オモロ波長のチューニングがされていない状態でこれらを「なんかいい話」として提供されたら不愉快になる人もいるだろうし、そもそも人の話だとプライバシー問題だってあるよな…となってボツとした次第である。

 この度久々にその時の下書きを発見したので見返してみると、既に書きあげていた2編は、祖母の話と匿名SNSで一度だけ会話したお姉さんのお話だった。という訳で、せっかく書いてたしもったいないから……という理由で眠っていた下書きを数年越しに公開してみる。なんかいいな、と思ってくれた人には今度飴ちゃんとかあげるね。

 

「署内で静かに燃え上がっていたってわけですよ…」

 ひとり暮らしは気楽だけど、時折寂しさのビッグウェーブがやってくる。いつもはやり過ごせる寂しさが妙に沁みるそんな折に、ひと月ちょい程、見知らぬ相手と音声通話ができる匿名SNSを家事の片手間にやっていた。

 その日の通話相手は私より少し年嵩のお姉さんで、話題は会社の人間関係だったと思う。ひと通りお互いの話をした後に「そういえば、消防士の元カレから聞いた話なんですけど〜」と話してくれたのが、「消防署の署長とそこに派遣でやってくる掃除のおばさん(未亡人)の不倫話」であった。署内公認の事実だったらしい。なんかインモラルでえっちですよね〜とふふふっと笑いながら話してくれた後に「恋の炎は署内で静かに燃え上がっていたってわけですよ…」と締めてくれた。

 それから生活が少しづつ忙しくなり、寂しさビッグウェーブも収まったため、そのSNSアプリは消してしまった。あの日お話ししたお姉さんもインモラル消防署にお勤めの元カレさんも元気でやっているといいな、と思う。

 

「鳩……鳩はダメよ……」

 母方の祖母は北陸の生まれである。彼女の生家は地元では有名な商家で、祖母はいわゆるお嬢様であった。ただ、現在の祖母は節約を尊ぶどこにでもいる一般人である。いかにして彼女とそのきょうだいたちが一般人になったのかというと、彼女の父(私から見て曾祖父)が原因であった。

 うまい儲け話はどの時代でもあるもので、祖母が子供だった当時は鳩がアツかったそうだ。レース鳩人気なのかと当たりをつけて調べたところ、どうやらそれだけでもないらしい。数少ない当時の記録を見た感じでは、レース鳩だけではなく鳩を飼育すること自体が当時の流行だったようだ。なんだその流行。

 さて、祖母は商家の家系であったが、曽祖父はその家に生まれたにしては人が良すぎる性格であったという。周りに言われるがままに流行商売に手を出し、鳩を買ってしまった。競技用だったのか愛玩用だったのかは不明だ。当時の祖母の記憶は「なんだかよくわからないけど突然家に真っ白で綺麗な鳩がやってきたなぁ」というものだそうで、鳩を持ってきた曽祖父はただニコニコと微笑んでいただけだったというから、祖母の家で鳩の存在理由についてわかっている人間は多分誰もいなかったんだろう。

 とにもかくにも鳩を購入してしまった曽祖父だが、移り変わりが激しい流行の世界で、人が良いだけの素人が成果を出せるだろうか。否だ。鳩商売の結果は散々で、大損をした曾祖父は持っていた資産や土地を少なくない程度売却することになった。そうして祖母とそのきょうだいたちは庶民としての人生を生きることになったのである。

 そして、今でも祖母のきょうだいたちが地元で集まるたびに「あそこも、あそこも、ぜーんぶ昔はうちの土地だったのにねぇ。」「田んぼも、工場も、全部売った。」「鳩……鳩はダメよ……。」と昔を偲んではそれぞれため息をつくという。鳩が原因で傾いた家というのもこの世には存在する。

読書感情文『死なれちゃったあとで』

 「あ〜よかったな〜」と読後に思う本はいっぱいあるけど、久々に「あ〜よかったな〜」に加えて、「感想を聞いてくれ!そして君も読んでくれ!」な本に出会ったのでお話しさせてください。『死なれちゃったあとで』という本です。個人で出されてる本なので、BOOTHで購入するのが一番手っ取り早く手に取れる方法だと思います。

 タイトル見てもうわかると思うんだけど、この本のテーマは「死」。作者の身近で起こった死にまつわる出来事のあれこれや考えが綴られたノンフィクションです。ちょっとしんどい内容もあるかもしれないけれど、読後は全然暗くなることはなく、カラッとした気持ちよさと少し寂しさの風が吹く感じでした。


 この本について何よりいいなぁと思ったのは、亡くなった人の死に方や生前のスタンスについて、正しい/間違っているといった態度がずっとなかったこと。『死なれちゃったあとで』の中で一番最初のお話は「針中野の占い師」という友人の自殺にまつわるもので、大学時代の友人Dが自殺で亡くなったらしい、という連絡を作者が受けたところから話が始まります。

 生前のDはこういう人間で自分とはこういう思い出があって、という話の後に、自殺の報を受けた時自分がどう思ったか、その後の通夜とお葬式で出会った人たちとのあれこれ……という流れで話が進んだところで気がついたけど、友人が死を選んだことへの意見とかあの時ああしていれば……みたいな過去への後悔の描写がほとんどない。タイトルの通り「死なれちゃったあと」に残された人たちは何を考え、何をしたのか、これはそういう本なんだ……。

 そこから全編通して読んでみると「死は生きていく中で発生する現象で、その現象自体に良い悪いの性格はない」みたいな捉え方を作者の方はされているのかなという印象を受けました。特に自殺という形で死を選んだ人について語るのってすごく難しいと思うんだけど、自殺した人間を美化するでもなくこき下ろすでもなく、自殺でもなんでも死は等しく死として扱っているところに、作者の信念や覚悟みたいなものを感じます。「針中野の占い師」は後日談の「種子島へ」と併せて読むと、人生の面白さとか人間の強さをみることができて最高になれますので何卒。

 

 あとは、事故で亡くなった作者の父についてのお話「父の死、フィーチャリング金」もすごくよかった。まずタイトルが良すぎるし、父の葬式準備のエピソードもじんわりと良い。

葬儀屋と打ち合わせ。思考力が低下していることを見越して、たとえば棺だと「A:50万円 B:30万円 C:10万円」のように選ぶようになっている(p.29)

Cが見るからに安っぽいので、結局は「Bでいいか」となる。Bを選んだことで「普通の価格帯を選んだ」とつい思ってしまいそうになるが、もちろんそれは錯覚で、Bも十分高いのである。全てをBで選ぶと、かなりの金額になってしまう(なった)。(p.30) 

 これ最高だ。生活の中に当たり前に存在する死というか、死で商売するってそういうことだよな……というものが見えてよかった。特別なことではあるけれど、死って日常の中でありふれていることでもあるんだよな〜。このエピソードは、死とは切っても切り離せないお金にまつわるもので、金額の大小は気持ちの大小と決してイコールではないんだけど、それでもその金額で人との関係性が見えてしまう、というちょっぴりの切なさと学びを得られる話。

 「死」がテーマの文章って当然どうしても重たく暗くなりがちなんだけど、淡々とした語り口があってか本作はサラッと読めるのがすごい。さらに一つ一つのエピソードに発見や共感があるし、何より読み終わった後に誰かに話したくなる一冊だった。

 

 幼い頃は「死」というのはとても遠い概念で、ものすごく歳をとったおじいちゃんやおばあちゃんにしか関係ないことだと思っていたけれど、それなりに歳をとってみてわかったのは、人は結構突然死んでしまうということだ。病気だったり、事故だったり、自殺だったり。大人になるとそういった突然の死に対応しないといけない時がどうしても発生してしまう。

 私自身も社会人になってからそんなときがあった。先週まで普通にやりとりしていた人が突然いなくなるというのはショックだった。けれど毎日は忙しく、さらに亡くなった後に残された案件の対応で奔走するため、落ちつきどころを見つける前に、モヤモヤとした感情の塊のままその時の自分の気持ちは日々の忙しさに飲み込まれてしまった。あれからしばらく経った今、ふとあの時整理できなかった気持ちのことを思い出したのは絶対に『死なれちゃったあとで』の影響だ。この本を誰かに話したくなるのって、読者それぞれに忘れられない死にまつわる思い出や当時は整理できなかった気持ちがあるからなのかもしれない。


 以上、とてもいいお買い物をしましたというご報告と長々とした感想文でした。秋の夜長にぜひ。

 

booth.pm

3/15のなんでもない日記

「シカクいアタマをマルくする 」でお馴染みの日能研の広告を、電車ユーザーなら一度はお目にかかったことがあるのではないか。有名中学の入試問題から一題とりあげて電車ユーザーに頭を使わせようとしてくるアレである。先日の朝、吊り革につかまって、ひょいと目線を上げた先にあったその時のお題は「四字熟語」だった。

 

問1、あなたの好きな四字熟語を一つあげ、その意味を説明しなさい。

問2、その四字熟語の好きな理由について200字以内で説明しなさい。

 

うろ覚えだがこんな感じ。

問1を見た時は「あ〜、そんなん『悠々自適』の一択だな〜〜」とぼんやり考えていたのが、問2を見た時に考えが変わった。「悠々自適」が好きな理由については説明するまでもないだろうが、果たして「悠々自適」は中学校入試で好きな熟語として紹介できる熟語だろうか。意味の説明に相違なく、好きな理由の文章にも筋が通っているのであればきっと正解にはしてくれるんだろうけど、私が採点者の立場で好きな熟語に「悠々自適」を書いてこられたら「なんかイヤなガキ」という気持ちは確実に発生する。


そういえば、弟が小学生の時の国語のテストで「あなたの考えた言葉遊び(洒落)をひとつ答えなさい」というものがあった。当時はジョイマンが大流行していた時期で、弟の回答「かけぶとん 50トン」へのコメントは「もう少し面白いものを考えましょう」だった。胸がキュウッとしてしまいませんか、このコメント。「これは相応しくないですよ」(もしくは「なんかイヤなガキ」かもしれない)がここまで透けて見えるコメントってなかなかない。入試回答としての「悠々自適」に感じる何かは、おそらくこの「これは相応しくないですよ」だろう。

 

かといって、こういう時に提示できる当たり障りのない熟語ってなんなんだろう。「誠心誠意」とかだろうか。あとは「一生懸命」とか?「粉骨砕身」だと、なんらかのデカすぎる覚悟みたいなものを感じてしまうから行き過ぎも良くないような気がする。当たり障りのない熟語、当たり障りのないユーモア、当たり障りのない話題、当たり障りのない趣味……。「当たり障りのない何か」というのは明確な線引きがないからこそ、存外難しいんだな〜、と気づけば熟語そっちのけでそんなことを考えていた。

 

なお、当たり障りのなさからはずれたものをお出ししてしまった時の「これは相応しくないですよ」の空気は今でもかなり恐れているところがある。まだまだ、悠々自適の暮らしには程遠いようである。

ケアンズ滞在日記2022

今年8月の1週間ほど、オーストラリアのケアンズへ旅行していた。今更ではあるけれど、せっかくなので滞在中の書き散らし日記と写真をここでまとめておく。

今回の旅行は、実はもともと「夏だし涼しいところへ行きたい」というくらいの思いだったのに、「赤道を跨げば冬だから涼しい!」という友人のトンチキ理論になぜか納得してしまい、海外渡航の実感を得られないまま、あれよあれよと渡豪することとなった。なお、私は英語の読み書きおしゃべりが苦手だ。そして、英語でのおしゃべりはその中でも輪をかけて苦手だ。そもそも日本語でのおしゃべりだって流暢にできる方ではないので、いわんや英語をやという感じである。そんな理由から、きっと死ぬまで英語圏の国へ行くことはないであろうと思っていたので、オーストラリア旅行に巻き込んでくれた友人には最大級の感謝を捧げたい。

 

8月13日

20時、成田発の空港でケアンズへ向かう。

渡航時間は7時間だが、格安航空のエコノミークラスで過ごす夜はなかなかにしんどい。硬いシート。これで?限界!?!?となるリクライニング。そして乾燥でやたら喉が乾く。寝れない。寝れるわけがない。あまりの喉の渇きに、こりゃ愛はできたらでいいから冷たい水最優先でほしいよねぇ…と朦朧としながらアゲハ蝶の歌詞に思いを馳せた。


8月14日

早朝4時、ケアンズ着。ケアンズは常夏だと聞いていたものの寒暖差はかなりある。朝はひどく冷え込んでいた。

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空港からタクシーを拾い、ケアンズの中央、セントラルステーションへ向かう。お腹が空いたのでまずは朝ごはんを食べられるところを探した。オーストラリアでは、歩行者用の横断信号は全て押しボタン式である。が、謎のボタンが2つありどちらを押せばいいかわからない。まごまごしていると通りすがりのランナーのおじさんが押しボタンのやり方を教えてくれる。「これを押したらしばらく経つと青になる。20秒のカウントダウンの間に渡ればいいんだ。キミたちと方向は一緒だから僕と一緒に渡ってみよう。オーケイ?」

そんな流れでカフェの前まで一緒に来てくれたおじさんも同じく旅行者で、ダーウィン(オーストラリアの左上らへん)からきたとのことだった。「長期のバカンスでオーストラリアを色々回ったけど、ケアンズが一番よかったよ!良い旅を!」

メニューボードの筆記体が読めず、とりあえず判読できたサンドウィッチを注文。美味しかった。

7時をすぎたので駅に直結しているショッピングモール内のスーパーへ。ショッピングモールはどことなくつくばの某ショッピングモールを想起する作りとなっており、海外まできてつくばを感じる自分の感性になんとも言えない気持ちになった。日本とケアンズの時差はわずか1時間であるものの、昨夜はほとんど眠れていないため、買い物した後、スーパー前のソファで友人ともどもうたた寝をした。

起きた1.2時間後にはモール内のお店も開店となっている。せっかくなのでお店の中を回り、そして旅行のために買ったばかりの帽子をなくした。日常で物をなくすことがあまりに多いため、私は無くしたものへの執着が異様に低いのだが、友人が諦めるには早すぎると説得してくれる。お店の店員さんにも尋ね、色々と回った結果、モール散策途中に小休憩したソファの人一人分のスペースに、ちんまりと帽子が座しているのを見つける。早朝ランナーといい、この国の人々は優しいな…!と確信するに至った。f:id:pompom1103:20221212212629j:image*1

宿に到着後は、部屋から一歩も出ず、お昼寝三昧。スーパーで買ったご飯などを食べて過ごした。


8月15日

ケアンズから列車で2時間半。山奥の自然豊かな観光地、キュランダに向かう。キュランダはケアンズ世界遺産のうちの一つである。

宿から駅までは徒歩5分。チケットは事前手配してあったのでスムーズに指定席へ。キュランダ観光鉄道はレトロな内観でテンションが上がる。列車からの景色は「世界の車窓から」に使われていたこともあるとかなんとか。片道2時間半、途中で滝を見るために途中停車などしながら、キュランダ到着。お昼を食べてからジャングル散策コースをいくつか歩く。景観がとにかく素晴らしく、野生の七面鳥にも会った。流れる川は大きく、しばし木陰でぼんやりしながら眺める。スケールの大きな自然はお腹が空くと思う。

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2時間半かけてまたケアンズに戻る。夕食は前日に予約していたステーキレストラン。これが素晴らしかった。

なんというか、これまで人生への穏やかな諦念と共に私は生きていたように思うけれど、それが一瞬で霧散した。ステーキを一口ほおばるとあまりの「美味」に爆笑したのだ。本当に美味しいものを食べると人って笑うんだ。生まれてきた意味ってこれじゃ〜〜ん!!!とガッツポーズまで出た。人生の意味、ここにあったよ。

前菜はガーリックトースト。ステーキと付け合わせのバターたっぷりマッシュポテト、ソースは濃厚なマッシュルームソース。友人と飲んだ赤ワインのボトル。デザートはクリームブリュレ。酔ってくだらないことを色々話す。あんなに楽しい夜はなかった。ほろ酔いで宿までふたり歩いて帰る。

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8月16日

この日はのんびり市内観光。観光地らしい観光地を歩くのも旅行の醍醐味ではあるけれど、気疲れもするため休む時間は重要だ。お手軽なオーストラリアっぽさを求めてコアラを見に動物園へ行くことにした。ケアンズワイルドライフドームは屋内型の動物園だ。日本とは違って動物の前に柵がないものも多いため、目の前でカラフルな鳥たちが賑やかに飛び回っているのを眺めることができた。なお、コアラ抱っこは日本円にして3000円。諦める。見て可愛かったので良し。

また、帰国のためのPCR検査も無事陰性となり、一安心であった。

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8月17日

ケアンズの二つ目の世界遺産グレートバリアリーフの中で、一番ケアンズに近い島がグリーン島だ。

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早朝からそれなりの波にゆさゆさと揉まれながらクルーザーで片道1時間、グリーン島へ。海の色はエメラルド。砂浜は真っ白。可愛らしい茶色の小鳥が島中を跳ね回っている。島は小さいため店は少なく、また、レストランも観光地価格であるため、売店でパンを買って昼食とすることにした。

ベンチに座り海を眺めながら優雅にパンをもぐもぐしていると、例の可愛らしい小鳥が友人のパンを思いっきり啄んでいた。長閑な昼食が一転、激しくバンバンと足踏みをし、鳥たちを威嚇しながらの殺伐としたランチタイムに変わる。小鳥を「あさまし鳥」と命名した。

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島をぐるりと一周散歩したのち、グラスボートツアーへ。ボートの底がガラスになっており、海の底の様子が楽しめるようになっている。名前も知らないカラフルなお魚、お魚、お魚、時々エイとウミガメ。滞在中に美味しいお魚も食べたいものだと思う。

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帰りもまたゆさゆさと波に揉まれて1時間。ザ・観光は楽しいけれどやはり疲れるなぁと思った。


8月18日

ケアンズ最後の市内観光。スーパーでお土産を大量に買い込みつつ、美術館とケアンズ歴史博物館に行く。

意外にも歴史博物館がかなり面白く、ケアンズの町がどのように発展してきたのかを知ることができた。国の歴史は広きにわたるため学ぶことに気後れすることもあるけど、町の歴史や発展は身近なものに感じられるからかとても興味深い。日本人移民のことにも触れられており「契約でお風呂に入れることを定めていたのに、お風呂のお湯がいつも温かいとは限らなかったため、ストライキも起きた」というところに強烈なジャパニーズを感じる。

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美術館は無料。企画展が「Face less」というもので、芸術鑑賞能力がほぼない私でもテーマの意図はなんとなく感じながら楽しむことができた。なんとなくポピーザぱフォーマーを思い出す。

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そして夕食は念願のお魚が美味しいお店。でっかいパエリア、採れたてお魚のムニエル、白ワイン。最高!

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8月19日

早朝にひとり帰路につく。友人はもう少し長く滞在するため、帰りは1人だ。当初は友人と一緒に帰る予定だったが、せっかくだからと旅行のひと月ほど前に友人は滞在の延長を決めたため、道中の英会話を丸投げする気満々だった私は真っ青になった。真剣に帰国の危機だ。そんな訳で、ここ数年全くがんばらなかった英語学習を死に物狂いでひと月と少し詰め込むハメになった。意外と毎日続けていれば効果は出るもので、拙いながらも会話らしきものが成立するようになったのは嬉しい。

なお、使用頻度の高かったフレーズはは"Please say it again?" "What should I do?"であるから、会話のクオリティについてはお察しいただきたい。

恐々としていたひとりの帰路ではあったけれど、空港までお願いしたタクシーの運ちゃんとは「京都は冬寒くて夏は暑い」「日本にはたくさんのお寺があります」といった教科書のような会話をし、空港ではきちんとコーヒーを注文できた(チャイラテを頼んだらなんかよくわからない味のコーヒーが出てきたがまぁよしとする)ので、上出来ではないだろうか。人間、追い込まれればそこそこなんとかなるものだ。達成感を抱きながら帰国した。

 

以上、これが私の非常に充実したバカンスのような夏休暇の詳細である。とりあえず、いつか人生の意味に悩むことがあれば、またあのステーキのお店に行こう。

*1:ちゃんと帽子をふっくらさせてくれているのが優しい

*2:とても良い注意書きだなぁと思って撮った写真

*3:調べたら「ナンヨウクイナ」というらしい